オーストラリアのワーホリに導かれるまでの軌跡、高校時代編
タスマニアに行くことを決断するまでには、本当いろいろなことがあった。
いろいろなことがありすぎて、1つの記事では書ききれないと思うので少しずつ書いていこうと思う。
どこから書くべきか悩んだけれど、
高校時代の自分について書いた方が良い気がしたので、そこまで遡ってみようと思う。
なぜ高校時代から書くべきと思ったかというと、
この時から何か自分の中で満たされないモヤモヤしたものが常にあったからだと思う。
「この満たされないものが何なのか?」ということに気づくには10年近くかかった。
当時の自分は、
何となく中学から続けていたテニス部に入り、
何となく勉強をしてただただ過ごしていた。
自分が行った高校も、
何かやりたくて自分の希望で入ったわけではなかった。
近くて通学が楽そうで、それなりの偏差値の進学校だったという理由だけで、入っただけだった。
中学生のときから、進学のことや大学、就職のことなどずっと親に話をされてきて、親を少しでも安心させなければと思い、選んだ高校でもあった。
自分には歳が7つ離れた従兄弟がいたが、その従兄弟がよくわからない高校に行って、大学へ行き中退して好き勝手しているという悪口にも似た話を毎日のように聞かされてきた。
あたかも、それが悪い例であるかのように言われるので、自分の中でも親の言う道が正しい道なのだと思い込んでいた。
今思えば、もしかするとその人は自分のやりたい道を大学で見つけてそのために退学したのかもしれないし、
それを一概に悪いことだと切り捨てるのはナンセンスだとわかるが、当時の自分はそれがわからなかった。
そうした自分は、親から
「これが良いんじゃないか?」
とか、
「こういう学部は就職に強い」
とか、そういった話をされるたびに、そうなのかーそれが正しいのかーって納得して受け入れていた。
つまり、
「自分のやりたいことが何なのか
」
とか、
「自分はどうしたいのか?」
ということと向き合うことを放棄して、リスクを取らない選択をこの頃からしていたということだ。
親が示したことに従っていればリスクはないし《この時のリスクって、親から責められないとか、落胆されないとかだと思う》、少なくとも大失敗することはないという気持ちがあったのだろう。
結局は、自分に自信が無くて批判されるのが嫌だから、周りから評価されるような選択をしたかっただけなのだろうと思う。今思えば、本当にくだらない考えだと思う。
そんな選択の繰り返しで、
そこには自分の本当の意思というものはないのだから、
自分の中にモヤモヤとしたものがあるのは当然だと、今はわかる。
こんな感じで高校生活を送っていたから、
特に高校時代の思い出といったものはあまりない。
大学に行ったら、
「自分の好きなことをするぞー」
という意識だけが高校の時にはあって、そのためには「今我慢して勉強しなきゃ」という気持ちしかなかったように思える。
今、ブログを書きながら思い出したが、高校の時に出会った一冊の本は凄く印象に残っている。
「アルケミスト」という本だ。
夢を実現するために行動した人
と、
行動せずに夢で終わった人の物語の話。
この本と高校の頃に出会ったというのは、何か無意識的に自分の中で
「自分のやりたいことをする」
ということについて求めていたのかもしれない。
その当時は、まだこの本が教えてくれている本当の意味というものはわからなかったけれど、今では凄く理解できる。
やりたいことをやって感じる後悔
と、
やらずに感じる後悔
とではこれほどまでに人生において、違うものなのかと感じる。
次の記事では大学時代の話をしたいと思ってます。
それでは!
ブログ村のランキングに参加中です。 気に入ってくださった方は下のボタンをクリックして応援してください。
※ワーホリから帰国後に妻と結婚し、今は子供も産まれて普通の生活を送っています。ワーホリ帰国後の生活を綴った動画をYouTubeにアップしてますので、興味のある方は是非ご覧いただけると嬉しいです。