オーストラリアでワーホリ。その決断が出来なかった大学時代。
前回は高校生の頃の自分の物事に関する考え方について書きました。
今回は、高校卒業後について書いていきたいと思います。
私は高校を卒業して、地元の大学の法学部に進学しました。
文系の中でも就職に有利だと言われている学部の中で、比較的興味のある学部を選んだ。
今の自分ならこういう選択は絶対しないが、
当時の自分は就職という未知の世界への恐れから、就職に有利なところを第一優先に考えて選択していた。
自分がやりたいことを第一に考えて大学の進学を選んでいたのならば、
自分の人生もこの時点で好転していたのかもしれない。
高校時代に常に思っていた、
大学に入ったら好きなことをいっぱいしようという夢だが、実は大学では少しは好きなことができた。
大学に入学してから1年くらいは、先のことを考えず今を生きるということができていた気がする。
高校の頃から、
先の事を考えて今という時間を犠牲にしてきた。
「将来こういうことをしよう、そのためには今は我慢が必要だ」
という発想で、
今という時間を生きてこなかった。
同級生の中には今を生きている人も多くいたが、私は内心
「そんなことをしていると、将来後悔するぞ」
と思いながら高校時代を過ごしていた。
今となっては後悔したのは自分で、
彼らが正しかったことがわかるが、当時の自分には全くわからないことだった。
そうした自分が、大学1年の頃に
自分のやってみたいと思っていたことに少しでも触れることができたことは、自分にとって凄く意味があった。
当時やってみたかったこととは、ギターの練習をしたり、サッカーをしたり、友達とたわいのない話をして時間を過ごすこと。
他の人からしてみると、
「何だそんなことか」
って思われるかもしれないが、
自分にとってはこういった日常が必要だった。
高校時代は、
親から何か制約をされてたとかそういうことは無かったのだけれど、
勉強以外の娯楽的なことをすることに変な罪悪感を感じていた。
勉強をすることは将来に繋がるけれど、それ以外のことは将来には繋がらないものだという発想だったのかもしれない。
こういう発想をしている時点で、
つくづく自分は頭の固い人間だったなぁって感じる。
仮に他の人がこういう発想をもっていても、たいていは器用にその辺をやりくりして、 今を楽しみながら将来に繋がることをしていると思う。
それが自分にはできなかった。
人生において必要な要素は
勉強よりも、それ以外のことの方が凄く大切なのに、
当時はそれに全く気づいていなかったんだと思う。
とにかく、大学1年の頃は
これまでとは違った充実感を感じながら生活ができた。
そんな日々も、大学2年生になる頃には
少しずつまた元の形に戻ろうとしていた。
大学に入るということが目標だった自分は、この先何になろうかという目標や夢もなかった。
そうした中、遊んでばかりいるように見えたのか、親が心配して何か資格を取ることを強く進めてきた。
その中で会計士資格というものを強く勧められた。
この頃から海外に行きたいという気持ちが凄くあったのだが、
将来にどう繋がるのかとかあまりイメージできていなかったため、親にも思いを打ち明けることはできなかった。
毎日のように会計士資格をとることを勧めてくるので、さすがに面倒になって、
「じゃあ会計士資格をとったら海外行ったり、好きなことをするからね」
と思わず言ってしまった。
これが悪夢の始まりで、
また高校時代のように将来のために今を犠牲にした生き方に逆戻りとなってしまった。
将来のために今を犠牲にするにしても、
自分のやりたいことや夢のためならば良いと思うけれど、
特に凄く興味があるわけではないことのために今を犠牲にするのは凄くもったいないことだと思う。
全ては自分の選択。
時間はあっても、
自分と本当に向き合ってこなかったから、反対されたり批判されても自分はこうしたいと思うようなことが見つからず、
結局周りの価値観に流されてしまったのだ。
こういった選択が、
自分のそれまでの人生の全てを表してると思う。
話が長くなってしまいましたが、会計士試験の勉強を始めてからの日々は、また次の記事で書こうと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
それでは!
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※ワーホリから帰国後に妻と結婚し、今は子供も産まれて普通の生活を送っています。ワーホリ帰国後の生活を綴った動画をYouTubeにアップしてますので、興味のある方は是非ご覧いただけると嬉しいです。