オーストラリアで永住権取得のチャンス到来!それまでの経緯とは!

 

前の記事で、永住権の取得のチャンスがあったと書いたところで終わったので続きを書いていきたいと思う。

 

最初のこのレストランで働きはじめたとき、キッチンハンドとしてシェフの手伝いをする仕事を任された。正直、シェフの補助なんて日本でしたこともなかったが、数週間無給で勉強してキッチンで働けるようになった。

この頃を思い出すと、本当に無給の期間はきつかったなと感じる。

お金を稼ぐために仕方なく日本食レストランで働き始めたのに、それとは真逆のことをしているようで精神的にもきつかった。

ただ、実力主義のオーストラリアで、働いた経験もなければキッチンハンドとしての経験がない自分にとって、いかに実務経験を積むかがワーホリを始めた頃の課題だった。

 

それまで、50枚くらい履歴書を飛び込みでいろんなお店に持って行ったがその殆どが、オーストラリアでの仕事の経験がないことを理由に断られていたからだ。この辺はまた別の記事で詳しく書きたいと思う。

 

何かを学ぶために無給で働くという経験は、人生で初めてだったため、凄く貴重な経験になったし、ハングリー精神のようなものも身についた。

 

 

とにもかくにも、その期間があったおかげで2週間後にはシェフの補助をさせてもらえるようになり、そのあとはシェフとして一人で仕事も任せてもらえるようになった。そうして働いているうちに、レストランのオーナーに気に入られて、お店自体を任せてもらえるまでになった。

特にオーナーが夏休みの期間に日本に1ヶ月帰国する際には、自分がオーナーの代理として店をきりもりもした。

 

そうした中、ある時レストランのオーナーからお店のオーナー兼シェフとして働かないかという提案があった。

オーナー自身、レストランはもともと教授になりたての頃に、生活のために始めたもので、本職は教授の仕事だったため、もうそろそろ本職に専念したいと考えていた。

 

そうしたときに、私の名前が浮上して提案するに至ったそうだ。

 

そして、店のオーナーとして働きながら、専門学校でシェフの資格を取れば、永住権の申請のチャンスがあることも知った。

 

正直な話、私は料理を作るのが好きだし、タスマニアでの生活にも満足していたため、この話が出た時は本当に嬉しかった。

ワーホリが終われば、日本に帰って生活というイメージしかこれまで持っていなかったから、まさかこのような形でオーストラリアに住むチャンスが与えられるとは夢にも思っていなかった。

 

しかも、28歳でシェフを目指すなんてことは新卒主義が残る日本では殆ど有り得ないことだ。

日本では大体の人が、20代前半で決めた職業を定年まで働き続ける。

 

この歳になって、全くの畑違いの職業を目指すことができるのは、海外ならではだと思う。

この年齢から新たなことに挑戦することに、オーストラリアの人は何ら変な反応はしない。

むしろそれが当たり前のように、祝福の言葉や応援の言葉をくれる。

 

これが日本だったら、いろんな人から大丈夫か?という心配の言葉を投げかけられるだろう。

そして、仮にシェフになれたとしても、年齢的なことを理由に仕事に就くことも難しい環境にある。

 

そういったことを考えたときに、オーストラリアで生活すれば何回でも人生はやり直せるんだという感覚になり、凄く気持ちが楽にもなった。

 

 

それと同時に、前の記事で書いたように日本で生活するかオーストラリアで生活するかの選択で悩むことになった。

 

 

次に続く

 

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※番外編